この度の西日本豪雨災害により被害を受けられた皆さまに心よりお見舞いを申し上げます。
タイヨーパッケージ代表の野村です。ブログに記事を書かせて頂くのは久しぶりとなります。
皆さまご承知の通りですが、この度の豪雨災害は広島・岡山・愛媛を中心に九州から中部地方まで、広範囲に被害が広がっております。
広島と愛媛では土砂災害で、岡山では洪水により、多数の尊い人命が失われております。
また、上記3県以外でも同様の災害がおきております。連日のこういったニュースに 心痛める日々を送っております。
弊社では帰宅困難者が1名、週明けの9日以降で通勤困難者が2名おりましたが、幸いにも人的被害も物的被害もありませんでした。
山陽自動車道が全面通行止めとなり、その影響で9日は提携先のヤマト運輸様が荷受を停止致しました。
翌日には解除されたものの、暫くは荷物の遅延が発生致しました。
荷物の遅延に関し弊社スタッフが手分けをしてお客様にお電話を致しましたが、その際には多くの温かい励ましのお言葉を頂戴致しました。
ありがとうございます。
その後もFAXで、お電話で、SNSで、温かいお言葉を頂戴しております。
そのお言葉の一つ一つに、スタッフ皆、元気づけられております。皆さまのお気遣い、心より感謝申し上げます。
応援メッセージのFAXは会社の壁に貼らせて頂いております。
JRが不通となった影響による通勤困難者2名のうち、1名は17日より時短で出勤出来るようになりました。もう1名も8月より出勤出来る見込みです。
広島県内の被害は相当なものがありますが、幸いにも当社が所在する広島市西区は被害がありませんでした。
被害のなかった当社だからこそ出来ることはないか、そのように考え、被災地の復旧ボランティア活動に参加することに致しました。
災害のあった翌週の7月14日、私と男性社員4名の合計5名で、坂町の小屋浦地区のボランティアに参加致しました。
小屋浦はこの地区だけで16名の方が亡くなられた地区であり、ご高齢の方が多い地域となっています。
被害の大きい地区であり、ボランティアの受け入れはこの日からとなっておりました。
自衛隊が活動をする中、担当する住居の周りの片付けから始めました。土砂に埋まった物を出す作業は想像以上に大変なものでした。
乾いた土砂は固く、簡単に引き出す事は出来ません。ご年配の方が出来る作業ではありません。
車が入れない坂の上であり、直射日光と35度の気温という事もあり、思っていた以上に作業は捗りませんでした。
若い社員が頑張ってくれていたのですが、彼らからしても、思っていた以上に早くばててしまったそうです。
力になりたいのになれない、もどかしい思いがしました。
同じ作業をするグループに、ペルー人の方が4名おられました。一人は日本語が堪能でしたが、他の3名の方は日本語が出来ない方でした。
3か月前から坂町に住んでいるとのことでした。恐らく、坂町にある会社の工場で働いているのではと思います。
私たちよりも体力があり、重いものも運び、黙々と作業をし続けておりました。私は色々な事を考えさせられました。
作業の合間、担当先の住居のお隣にお住まいのご年配の女性から、氷の入ったお水の差し入れを頂きました。
「水道は通っていないけど電気は通っているから、氷が出来るから是非飲んでね」と何杯も頂きました。
昼の休憩中には、地元の女性から「しっかり塩分を取って下さい」と塩飴を頂きました。
午後から別の場所で作業をしている時には、地元小屋浦の2人組の女子中学生さんから、「コーラいりませんか?」と氷入りのコーラの差し入れを頂きました。
被災地にお住まいで大変であるにも関わらず、私たちボランティアにもこのように対応して頂き、心温まる思いを致しました。
また、10歳くらいの男の子が、スコップで土砂をかき出し、一輪車で土砂を運び出していました。
何度も何度も、その作業を繰り返していました。私も社員の皆も、色々な感情が入り混じりました。
この地域をこのままにしてはいけない、そうした思いを抱きました。
翌週の21日は、14名で参加致しました。体力に不安のある社員は通常業務にあたり、希望者が参加するという形で伺いました。
前回と同じ坂町小屋浦に伺いましたが、今回は平地に近い地区を担当させて頂きました。こちらは上の地区と違ってまだ山からの水が流れています。
水を逃がす側溝が土砂で埋まり、生活道路の上に溜まった土砂の上を水が流れているような状況でした。
次に雨が降った場合、また土砂が流れてくる危険性が高い状況でした。狭い路地で重機が入れず、道路上の土砂は2週間前と殆ど変わっていませんでした。
私たちは道路上と側溝の土砂の撤去、そして2軒の住居の片付け作業をさせて頂きました。
水を含んだ土砂はとても重く、本当に少しずつしか前に進みません。それでも皆、一生懸命、土砂を運び出してくれていました。
新入社員達は1軒の片付けと清掃作業をさせて頂きました。途中、重たい泥に浸かった写真やアルバムが出てきたのですが、
女性の家主様は「見たら捨てられないから、見ずにどんどん捨てていきましょう」と仰いました。
そのお言葉がとても悲しく、力仕事や猛暑の中の作業よりもつらかったと彼女達は言っておりました。
そして、「日頃普通に暮らせている事が幸せであると気付けました」と言っておりました。だからこそ、もっと何かをしなければと感じております。
今後は義援金を出させて頂くと共に、支援の輪を広げていきたいと考えております。
弊社は商工センターという企業団地に本社があります。
まずはその商工センターに所在する企業全体へ、ボランティア活動参加の案内を、企業組合を通じて出させて頂いております。
チャーターバスで復旧ボランティアに行くというものであり、企業組合としても初めての取り組みですが、お一人でも多くの方が参加されることを願っております。
被災地では携帯が繋がらなくなりましたが、そうした中でもLINEは使えたり、ツイッターで救助を求める事が出来たりしております。
状況に応じた通信インフラの重要性を感じました。
広島県や岡山県は地震や台風の被害があまりなく、自然災害が比較的少ない地域といわれております。
そうした地域でも50年100年単位で見ると大きな災害に遭っております。
災害はいつ、どこで、何が起きるのかは分かりません。
皆さまにおかれましても、普段からの防災の準備、及び連絡手段の確保をお願い致します。
その上で、何かあった際には、お互いに助け合いの心が必要であると、改めて感じております。
(野村洋介)